段々色ブログ

障害者アートギャラリー店主の気まぐれ帳

私が障害者アートギャラリーを始めた理由

2017年 下北沢の国産紅茶の店「オルガン堂」でギャラリーを開始

娘の障害

1992年に娘が生まれた。仮死状態での出生となり、そのまま集中治療室に入ることになった。仮死ということは、ある時間呼吸が止まっていたわけで、酸素が行き渡らないことにより脳の機能が損なわれる。娘に障害が残ることはこの段階で確定した。

 

この子はどのように育っていくのだろうか。医療関係者にいろいろと聞いていくにつれ不安は募っていく。奇跡的にこの子だけは復活するのではないか、などと考えようとする。しかし、医師から言われたのは、命は5年というものだった。

 

障害は、大雑把に分類すると知的障害、精神障害、身体障害の3つになる。娘は重度の障害者であり、この3つすべてに該当する。自分で何もできず、要介護の最高レベルということになる。

それでも娘は頑張って生きようとしてきた。そして、先日、寿命5年と言われた娘は30歳の誕生日を迎えた。

 

福祉に関わる

娘が障害者であるがゆえ、自然に福祉に興味を持つようになっていった。

前職の転勤で、一番規模の小さい事業所を任されることになった時。少々の裁量権を得たことを利用し、福祉について取り組むことにした。

まずは雇用である。県の機関に連絡して車椅子の方の雇用をしたいと申し出た。しかし、車椅子利用者(つまり知的障害のない身体障害者)の雇用は需要があり、その時該当者はいないということだった。

さてどうしようかと思っていた矢先、事業所の物流センターに、就労支援をやっている団体の方がやってきた。知的障害のある方を雇わないかという話をもらい、即受け入れを決めた。いくつかのトラブルはあった。しかし現場のパート社員の方たちが少しずつ受け入れてくれ、サポートをしてくれるようになったのは嬉しかった。

 

障害者が作る石鹸

次に障害者施設の商品を扱おうと、ある授産施設を訪問した。

そこの代表は当時22歳の若者で、3人の障害者と一緒に石鹸を作っていた。話は簡単だと思っていたが、交渉はあっさり決裂した。「障害者」の「し」の字も言いたくないというのが先方の意向だった。3人を障害者扱いするのは許さないということだ。

気持ちはわかる。でも「障害者」を伝えることで、一般の人たちに障害者に関して考える機会にしたいのだ。それが福祉の底上げになるはずだと食い下がるが、平行線は交わることがなかった。(「障害者」を標記するかどうかは、障害者アートの仕事においてもたびたび問題となったので別の機会で話す)

 

しばらくは石鹸のことを忘れて過ごしたが、ある時その授産施設と一緒にイベントを開催することになり、また顔を合わせることになった。ちょうど物流センターに雇用の話を持ってきてくれた就労支援団体の担当者と授産施設の代表が懇意だったことなどから、先方も態度を軟化させ、石鹸の取扱いが始まった。

 

工賃

その授産施設とは一気に距離が縮まり、私たちも石鹸を作りに行ったり、一緒にバーベキューをしたりした。福祉現場のいろんなことを学んでいくことになったが、一番驚いたのが工賃の安さ。

障害者の受け入れは、雇用されることが可能な方(軽度の障害)を対象にするA型事業所と雇用が困難な方(重度)が対象のB型事業所に分かれる。A型は障害者と雇用契約を結ぶため最低賃金が支払われるが、B型は雇用の形はとらない。そして給料の代わりに「工賃」というものが支払われる。今現在、日本の工賃の平均は16000円程度。当時は確か5000円だったと思う(月額である)。

重い障害のある人は健常者より仕事の効率が低いのはよくわかる。しかし、この金額はどうにかならないのだろうか。

 

障害者アートに出会う

2010年、東京都の特別支援学校の生徒たちのアート展が池袋にある東京芸術劇場で開催された。私の娘の作品も出展されていると聞き、見に行くことにした。娘は自分の意思で物をつかむこともできない。何ができあがっているのか楽しみに出かけた。

作品は、娘に握らせた紙粘土(?)の固まりを紐で吊るし、厚紙のリングから垂らすというもの。3本の紐には各5個の粘土製のオブジェが掛かっている。立派なアート作品だと思った。娘は手をギュッと握り締めることはできるので、彼女の持つ数少ない能力を利用して制作されたものだ。本当に先生たちの工夫には頭が下がった。

この1点を見ることだけが目的で来たのだが、せっかくなので全部見てまわる。そして驚いた。潜水艦を描いたのかフグを描いたのかわからない作品は、補色の効果でキラキラに輝いて見えた。

補色とは色相環の反対側の色のことで、反対色ともいう(例えば青と黄色は補色関係)。両方の色を引き立てる効果があるが、場合によりハレーションを起こし、目がチカチカする。

この潜水艦の作品がまさにそうだ。こんな作品は今まで見たことがなかった。障害がある子には、こんな才能があるのだ。

思うに、子供は小さいときは誰もが天才だ。しかし健常者は大きくなるにつれ常識を身に着けていくのか、作風が同じになっていくように感じる。先生に「はい、雲を描きましょう」といって白のクレヨンを渡されたという話を聞いたことがある。これでは、雲は白で描くものだとみんな思ってしまうだろう。

ちなみに日本人はみんな太陽を赤で描く。これは世界でも珍しいらしく、黄色で描く国が多いそうだ。もっとも海外の黄色の太陽も「はい、太陽を描きましょう」と黄色のクレヨンを渡された結果なのかもしれないが。

 

話を戻す。このように障害のある子供たちは色も形も自由自在に描き、独自の世界を作り上げる。これを見て、芸術の分野なら障害者も健常者と対等に勝負できると思った。

時間や製造数で収入を得るのではなく、芸術的価値で対価を得る。そんな形の活躍の場があってもいいはずだ。

それから数年後、私は有機野菜の会員制宅配の仕事を辞め、障害者アートギャラリーを始めた。