段々色ブログ

障害者アートギャラリー店主の気まぐれ帳

オオカミ再導入の話

 

オオカミ絶滅

日本からオオカミがいなくなり100年以上になる。それまでは、日本にもオオカミはいたのである。

絶滅のキッカケは毛皮ビジネスの発展にあったらしい。毛皮が高価な値段で取引されるようになると、銃の保有者が競って野生動物を捕り始めた。北海道ではエゾシカが減ることになり、オオカミは餌に困ることになった。

ちょうどそのころ(明治時代)に畜産の技術が日本にも入ってくることになり、餌を求めたオオカミが家畜を襲うことになったそうだ。畜産技術とともにオオカミを殺す技術も一緒に入ってきたので、これによって北海道のオオカミは絶滅した。1896年のことだ。

本州でも同様にオオカミ駆除が行われ、1905年、奈良県吉野村で捕獲されたオオカミが本州最後のオオカミとなった。

こっそりどこかの山で生きていると信じている(信じたい)人はいるようだが、それ以後、オオカミを見た人は誰もいない。

 

シカによる山の荒廃

オオカミのエサはシカやイノシシだ。オオカミがいなくなったことでシカが勢いよく増えた。シカは植物であれば葉でも、茎でも、根でも食べる。木の皮を剥いで内側の柔らかい皮も食べる。そうすると木は枯れてしまう。

木が枯れると、山は水を貯める能力を失うことになる。大雨が降ると、雨水は一気に下流を襲う。下流の都市部の生活者にとっても、山のことは関係ないでは済まされない重要な話なのである。

 

どうやってシカを減らす

環境省のデータでは、2019年のシカの数は189万頭ほどで、2014年のピーク時の246万頭をピークに減少傾向にはあるらしい。しかし目標数の130万頭を達成するには、もっと多くの捕獲が必要とのことである。たぶん日本中の猟友会が必死にシカを追いかけているのだろう。シカは毎年増えるのだから、撃って撃って撃ち殺さないとこの数字は達成できそうにない。そして残念なことにハンターは高齢化で減ってきているのである。

 

片方で、オオカミを再導入してはどうかという案がある。オオカミは日本では絶滅した。しかし海外にはまだいるのである。このオオカミを日本に連れてくるということだ。人がオオカミを減らすのではなくて、自然のことは自然に任せるべきではないかということである。

 

狼と森の研究所

友人の朝倉裕さんが「狼と森の研究所」という組織で研究を続けている。彼は海外にも出向き、様々な研究者と情報交換をしてきた。

私はオオカミ再導入の話を聞いて、筋のいい話だと思った。もちろん私は全くの門外漢だ。しかし素人が考えても、増えたシカを人間が撃って個体数の調整をするより、オオカミを再導入する方が理にかなっていると思った。

 

両方の意見

オオカミ再導入否定派の根拠は、オオカミが人を襲う可能性があること、海外のオオカミはニホンオオカミではないので望む結果にはならないこと、かつ予測不能な生態系への影響があるかもしれないこと、などである。

 

推進派はこれらに根拠をもって反論してきた。オオカミはもともと臆病な動物で人を襲ったりしないこと。絶滅したニホンオオカミと大陸のハイイロオオカミは遺伝子分析の結果、同一種であることが確認されている。だから生態系への影響は考えられないこと。

 

しかし、環境省も学術界もオオカミ再導入には否定的であるようで、相手にしてくれない。

 

劣勢のオオカミ再導入派

一般市民の声も否定派が多いようだ。これには「赤ずきんちゃん」のイメージが根強いと聞いた。誰もが子供のころに聞いた赤ずきんちゃんの話。小さな時に聞く話はずっと残り続けるのかもしれない。名作「ネバ―エンディングストーリー」の「グモルク」もオオカミの恰好をしていたのを思いだした。オオカミはいつの時も怖い悪者なのである。

 

このように、国や学術界だけでなく、一般市民にも否定されやすいオオカミ再導入提案ではある。しかし環境省や学術界はオオカミ再導入派の意見をはなから無視するのではなく、同じテーブルで議論と研究をするべきなのだ。銃で撃つだけでは難しいことを認めているのだから、他の案を検証すのは当然ではないだろうか。国民の生活にも、今後の日本の環境にも大きな影響を及ぼすことなのだ。しっかり向き合ってほしい。

 

成功事例「イエローストーン国立公園」

アメリカのイエローストーン国立公園で1995年にオオカミ再導入のテストを行っている。これによって生態系、自然そのものが蘇ったという事例があるのである。YouTubeで「1995年14匹のオオカミが放たれた」と検索すると4分間の動画を見ることができる。560万回再生された動画だ。まだ見ていない人はぜひご覧いただきたい。

1995年14匹の狼が放たれた。23年後人々は目を見張った。 - YouTube

 

頂点捕食者としてのオオカミ

頂点捕食者とはその生態系の食物連鎖の頂点にいる動物の事だ。日本の場合、これがオオカミだった。だからオオカミがいなくなったことで動物の個体数のバランスが崩れてしまったということなのである。

 

オオカミは確かに怖い存在である。連れ戻すということに抵抗感のある人は多いだろう。しかし、オオカミは農作物を荒らすシカやイノシシを捕食する農業の守り神として祀られてもきた。日本人とオオカミはうまく共存できていたのである。

今の日本人に「山の奥にオオカミがいる」という状況はどうしても受け入れられないものなのだろうか。人間は何でもわかるようになってきたし、恐れるものもなくなってきた。ひとつぐらい畏怖(恐れ・尊敬・崇拝)する存在が山にいてもいいのではないかと思うのだが、いかがだろうか。