ヴィーガン食
ここ数年、ベジタリアン・ビーガンが急増しているということで興味を持っていた。私が関わっている自然食品卸の会社でもヴィーガン対応のカップ麺はよく売れているようだし、外食チェーン店でも肉を使わないメニューが登場していると聞いた。いったいどんなものなのか、試してみることにした。
まず、COCO壱番屋で「ベジカレー」を注文し「大豆ハンバーグ」をトッピングした。カレールーも動物性の原材料を使うので、特別仕様になっている。そして大豆ハンバーグは文字通り大豆で作られている。ハンバーグだけを食べると肉と味の差はある。しかしカレールーと合わせて食べると違和感はなかった。
もうひとつが下北沢のヴィーガン用ハンバーガーショップ「スペリオルティバーガー」。昨年できて気になっていた店だ。この店のハンバーガーのパティはキヌアなどの雑穀に野菜とスパイスを混ぜて作るのだそうだ。ソースにも合っているので、肉の味に近いかどうかは別として、これはこれで十分おいしいハンバーガーだと思った。
ヴィーガン人口は日本でも1.9%に増えているらしい(ヴィーガンを含むベジタリアン全体では5%)。アメリカのヴィーガンは2014年~2017年の3年で5倍に伸びた(2000万人:人口の6.3%)。イギリスも増加しており、2019年で人口の7%になったらしい。
ドイツは既に10%がベジタリアンであり、どのレストランに入っても必ずベジタリアン用のメニューが用意されていると聞いた。
ベジタリアンの種類
「ベジタリアン」は「菜食主義者」のことを言う。健康上、宗教上、倫理上の理由、他にも環境保護の理由によって肉などを食べない人たちのことだ。ベジタリアンにはいくつも種類がある。乳製品は食べてもよい「ラクトベジタリアン」、卵は食べてもよい「オポベジタリアン」、肉だけダメで魚介類、乳製品、卵は食べてもよい「ペスカタリアン」などがある。
そしてその中の最上位に君臨するのが「ヴィーガン」だ。肉、魚介類、乳製品、卵すべてを禁止している。ハチミツもダメである。なぜならハチミツは蜂の食べ物だからだそうだ。絹も使わない。繭玉を茹でる時に蚕が死んでしまうからだ。もはや戒律とも呼べるほど厳しい。
このように規制の強いヴィーガンだが、だからこそか主張も強い。肉食反対デモ行進を行うなど、個人の信条を超え批判的な社会運動を展開している。ここがベジタリアンとの違いだ。ヴィーガンの主張は「動物愛護」と「環境保全」を軸にしているようなので、この2点について少し考えてみる。
動物愛護
これは動物を殺して食べることに反対するということだ。たしかに自分が生きるために他の生き物を殺すというのは悲しくも残酷な話である。もしかしたら人類が理性を持った時から心の葛藤があったかもしれない。
昔はその生き物を自分たちでさばいただろうが、今は殺すところを見る必要もなくなった。生き物に対する哀れみと感謝の気持ちが薄まっているのは間違いない。
「豚のPちゃんと32人の小学生」という本がある。映画にもなったのでご存じの方も多いだろう。ある小学校で900日間にわたり豚を飼育した。そして最後にその豚を食べるかどうかクラスで議論するという実話だ。強烈な授業である。外部からは否定的な意見もあっただろう。しかし、生き物を食べるということを子供に本気で考えさせた意義は大きい。
食べるということは何かを殺すことだ。そうやって人間も動物も生きていくのである。全部わかった上でその命をありがたくいただく。
さて、ヴィーガンはこの生きるために命を奪うことを否定する。
人間はたぶん、農耕を始める前は動物や魚や木の実などをとって生きてきた。農耕が始まって食料は安定した。そして肉、魚、植物、何でも食べられるようになった。
現代では農業技術も発達したので、人間は植物だけで腹は満たせる。だから動物を殺す必要はなくなったということなのだろうか。
しかし人類が菜食のみになる世の中が、私にはどうにも想像ができない。乳製品や肉を主食にする遊牧民もいる。そんなに簡単なものではないと思うのだ。
環境保全
次は環境負荷の話だ。
精肉1㎏をつくるのに必要な穀物量は、牛肉で25㎏、豚肉で4.8㎏、鶏肉で3.9㎏だそうだ。世界中の穀物の50%以上が家畜の餌になっている。また家畜を飼育するための放牧地と飼料用作物の農地は、農地全体の80%以上なのだそうだ。アマゾンの破壊がずっと問題視されているが、その90%は畜産が原因らしいのである。
これは間違いなく解決しなければならない大問題だ。食肉をやめるかどうかはさて置いて、肉の消費量を減らさなければいけないのは間違いない。
誰にでもできる活動に
私の知人が2年間続けていたヴィーガンをやめた。その時にヴィーガン仲間から「あなたは動物を殺すのね」と言われたそうだ。これを聞いてため息が出た。動物を殺すか殺さないか、敵か味方かという二極の対立からは、勝ち負け以外の何物も生まれてこないだろう。
そして批判型の運動を繰り広げると、同じ声の大きさで反論をする人が必ず出てくる。主張に正しいところがあったとしても、ヴィーガンが敵視されてしまうのはここに原因があるのではないだろうか。
ところで、ポール・マッカートニー氏が始めた「Meat Free Monday」は、月曜日ぐらいは肉を食べないようにしようという提案である。またベジタリアンのひとつに「フレキシタリアン」という人たちがいる。無理のない範囲で野菜を中心にした食生活を送ろうという考え方で、肉も魚も全面禁止にしない。
これなら無理なく始められそうだ。一部の人が動物を一切殺さないというより、全体で肉食の量を下げていく方が環境保全の目標達成には近道ではないか思うのである。そして並行して動物福祉や肉を食べること自体について考えていくというのはどうだろうか。
最後にひとつ。肉の代替製品に関してだが、肉の食感や色やカタチを忠実にマネする必要はないのではないか。肉に近づけるための労力とコストは、味の向上に使ってはどうかと思うのだ。肉の代役でなく新たな食材としての地位(できれば肉よりうまい)を確立するということだ。
本物の肉を我慢して食べる代替肉は、タバコが恋しくてすがりつく禁煙パイポようで悲しく映る。