段々色ブログ

障害者アートギャラリー店主の気まぐれ帳

施設紹介「たんぽぽの家」

 

撮影 衣笠名津美

明るい施設の明るい作品

「たんぽぽの家」は奈良市にある障害者アートに取り組む施設だ。2017年、ギャラリー開設準備中にいくつかの施設を訪問したが、その中のひとつが「たんぽぽの家」だった。正式な組織名称は「社会福祉法人わたぼうしの会」と言っていくつかの組織を持つが、ここでは一般的に言われる「たんぽぽの家」と表記する。

 

「たんぽぽの家」では、絵画、書道、さをり織りなどの制作に取り組んでいる。訪問時に感じたのは、施設が明るいことだった。窓が大きく物理的に明るいということも理由のひとつとしてあるが、何より障害者やスタッフが元気でとても明るい空気感があるということなのだ。建物はゆったりと設計されていて窮屈さがまったくない。その中で、それぞれの作家が自分の制作場所をもって自分のペースで作品を仕上げていく。走っている人もいれば、居眠りしている人もいる。みんな自由だ。

 

「たんぽぽの家」の作品に明るいタッチが多いのは、この環境によるところが大きいと思っている。“絵は心の風景”だから、幸せな環境にいると作品が明るくなるのは自然なことだ。私は「たんぽぽの家」の作家の明るい作風がとても好きだ。明るい作品は人を幸せにしてくれる。

 

「たんぽぽの家」には美大卒のスタッフが何人もいるのも特徴である。障害のある作家は、たぶん「たんぽぽの家」に来るまでは色鉛筆とかクレヨンなどの画材しか使ったことがない。アクリル、油彩、ペンなど多くの画材に触れさせることによって、スタッフは障害者作家の能力を開花させていくのである。

 

最初に契約した社会福祉法人

このように、どうしても「たんぽぽの家」の作品を扱いたいと思ったのだが、契約に関していうと「即決」とはいかなかった。まだ5,6年前の話だが、あの時はまだ障害者アートを販売するということが今日ほど普通ではなかった時だ。ちなみに流れが少し変わろうとしたのは「障害者による文化芸術活動の推進に関する法律」が施行された2018年だが、この1年前だったこともある。

 

「たんぽぽの家」は古くから作品の展示や販売も行ったりしていたが、これは自主的な活動だった。そんな中、設立したばかりの株式会社の名刺をもった人間が来て「ビジネスとして絵を売らせてくれ」というのである。警戒しないはずがない。

数度の訪問後、アートディレクターの吉永さん達のバックアップもあり何とか合意できた。そして打ち合わせ後、スタッフの皆さんと懇親会を開いてもらった。その時に統括施設長の成田さんが「画廊がやってくる時代が来るとは思ってなかった」と話していたことをよく覚えている。

そして成田さんは「たんぽぽの家」のスタッフたちに、私が以前勤めていた組織の紹介をしてくれたのである。

 

たんぽぽの家との縁

実は「たんぽぽの家」とは少し縁があったのだ。

私が過去に所属していた「日本リサイクル運動市民の会」は、フリーマーケットを日本で初めて行った団体だった。私自身は直接の接点はなかったが、「たんぽぽの家」と「日本リサイクル運動市民の会」は同じ関西で活動する市民運動団体として古くから付き合いがあったのである。

 

余談だが、1980年代は日本中にたくさんの市民運動団体があって、人権、環境、有機農業、村おこし、福祉、教育などの活動をしていた。それまではバラバラに活動していた各市民運動団体だったが、これからはテーマに応じて連携していくべきということで「ばななぼうと」という企画が持ち上がった。船をチャーターして170団体500人超の参加者が、6日間船の中でそれぞれの思いを語り合い、議論するという凄い企画だ。もちろん「たんぽぽの家」も「日本リサイクル運動市民の会」もこの船に乗っていたのである。

 

たんぽぽの家の思想

新聞記者だった理事長の播磨靖夫さんは、記者時代に障害者問題のキャンペーンを実施した人だ。そして障害者の生きる場づくりをするためのネット―ワーキング運動をする延長で、自ら「たんぽぽの家」を作って実践を始めた人である。

障害者との共同生活の場を作り、そこでは障害者も仕事をする。手が少しでも動く人は手を使い、足が動く人は足を使って、調理までしたと聞いた。「たんぽぽの家」では足で絵を描く作家がいるが、この話を聞くとそれもうなずける。

 

たんぽぽの家は、1995年に「エイブル・アート・ムーブメント」という運動を始める。これまで価値の低かった障害者アートのすばらしさを広め、障害者の地位向上を目的にしたものだ。この活動を通して誰もが阻害されない社会をつくっていくという運動である。この「エイブル・アート・ムーブメント」は高く評価され、播磨さんは文部科学大臣賞を受賞している。日本の障害者アート史を語る上で欠かせない運動になった。

 

福祉ホーム

ところで、「たんぽぽの家」は暮らしの場としての取り組みでも独特の活動を行っている。

敷地内には「コットンハウス」と「有縁のすみか」という福祉ホームがある。一般のアパートのように各部屋が個人の「家」として独立しているので、入所施設と異なり、ホームヘルプやガイドヘルプを受けることができる。部屋はただの「住居」でなく「住所」なのだ。だから郵便物も個別に届く。各部屋は自分の希望でドアや内装を設計できるのだそうだ。この場所に暮らしながら、昼は同じ敷地内の隣の建物で制作を続けていく。

 

障害者の親は、自分たちがいなくなった後に子供が安心して過ごせる居場所を早いうちに確保したいと考えるものだ。特に生活の場と日中の活動の場がひとつになった施設は親にとって安心できるのは間違いない。だから入居希望者はとても多いと聞いた。

親と別れて過ごすことになった障害者は最初は塞ぎこむらしいが、だいたい2週間ほどで慣れるらしい。ここから障害者は親から独立し別の道を歩み始める。

 

障害者アートに取り組む施設としてだけでなく、障害者施設として歴史を積み上げてきた「たんぽぽの家」。このような施設が日本中にできることを願いたい。

なお、「たんぽぽの家」は見学をすることができる。詳しくは以下より。

 

個人の方へ | たんぽぽの家 (tanpoponoye.org)